かつては、自生するじゅんさいを自給用のみ収穫

昭和の初期まで、三種町の人々は、池沼に自生している「じゅんさい」を自由に収穫していました。一部、近くの商圏に販売する人もいましたが、主には自給用。近畿圏ほどに「じゅんさい」が知られていないことから、秋田県では市場用に栽培するという考え方は無かったようです。
しかし、昭和11年。「じゅんさい」をめぐる環境が変わります。

兵庫県の会社がじゅんさい栽培のきっかけに

この契機をつくったのは、兵庫県明石市にあった金陵食品加工会社です。
この会社は、京都・兵庫あたりの池沼・ため池を利用して、盛んに「じゅんさい栽培」をおこない、ビン詰め商品を関西の市場に出荷していました。昭和10年ごろ、三種町出身の娘が女工としてこの会社に勤めるようになりました。
「この会社が取り扱っている「じゅんさい」なら、自分の故郷にたくさんある」と社長に告げたところ、社長は、さっそく現地視察をすることになりました。

後に生産量日本一を誇る三種町産じゅんさいの発見

昭和11年の初夏に秋田県三種町山本地域の森岳地区にある、最も大きな沼「角助沼」のじゅんさいについて調査しました。その結果は、「品質も良好で、関西のじゅんさいと比べて劣るところがない」とのことでした。
そこで、「じゅんさい」栽培の効率性をあげるため、社長と娘は関西で採用している栽培方法や加工技術を惜しげもなく地元に伝えたのです。

じゅんさい栽培本格始動と商取引の整備

それ以来、三種町山本地域の森岳地区を中心に、「じゅんさい」の栽培や加工が一般化し、首都圏との商取引の条件が整いました。現在、じゅんさい摘みに使われている小舟も、この時に導入されたもの。社長の訪問以前は、身体ごと沼やため池に入り、どっぷり水に浸かって摘み採りをおこなっていたのでした。